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キヨラビ誕生物語

キヨラビ誕生秘話「起業を決意」

とある工場団地の一角。立派な工場でした。
ところが連れて行かれたのはその工場の裏にある、旋盤のためのスレート葺きの小さな作業場。その会社の社長さんが商品開発の部品を作るためにこしらえた作業場でした。金属の部品や削りクズや、オイルやらが雑然と散らかった、いかにも何かに夢中になった男性たちの城という感じです。
何がなんだか分かりません。しばらく待つと、熱帯魚を飼う水槽に水を入れ、ホースからブクブクと空気のようなものが・・・??奥を覗くと緑色のボンベに「水素ボンベ」と書いてある。
なるほど確かに水素ガスを入れているんだというのは理解できますが、水槽?
要は金魚鉢じゃない!なんじゃこりゃ~!
でも、これなら私にもできるんじゃない?
できるわよ~!
できるに決まってるじゃな~い!!

実はこれは大いなる勘違い。でもこの勘違いがなければ、キヨラビは生まれていなかったのです。勘違いもたまには大事だということですね。

よくよく見ればちょっと変わった形のポンプ。これさえあればきっと作れるはず!
「これください!!」
思わず言ってしまいました。
後で聞いたのですが、かなりびっくりされたそうです。きっと必死の形相だったのでしょう。あまりの勢いに押されOKしてくださったのです。

実はそのときはすでに「水素水」なるものが、いかがわしいものでも胡散臭いものでもない、ということは知っていました。
連れて行ってもらう数日前、DVDをいただいたのです。
日本医科大学 大学院の太田成男教授の講演会の録画でした。
世界最高峰の医学雑誌『ネイチャー・メディシン』に水素水の研究論文が掲載されることが決まったことを受けての講演会だったのです。
なぜ水素水が悪玉活性酸素だけを選んで還元することができるか、反応した後には水しかできないのか、理論的な理由がちゃんとあったのです。
水素分子(ガス状)は、ほとんど何とも反応しないほど安定した分子なのですが、その弱い還元力だからこそ「強烈な酸化力をもつ活性酸素=悪玉活性酸素」としか反応することができないのです。結果としての選択的結合だったのです。
すでに食品添加物としても認められていて、生体の生理機能を乱さない。副作用なし。安全!
多少の好みはあったとしても、水は嗜好に左右されにくい。子どもでも誰でも飲める。
それまではより強い抗酸化力のあるものが追及されてきました。これでもかこれでもかと活性酸素をやっつけようとしてきたのです。でも水素水は逆だったのです。
弱いからこそ強酸化力の悪玉活性酸素としか反応することができない!ということだったのです。

それを知った時、しばらく呆然としていました。
科学は目覚ましく進化し、日進月歩の勢いで変化していく中で、「水素?!」最も小さく、最も軽い、宇宙で最初にできた原子。今でも宇宙で最も多い原子。水素原子が物質の原料として使い果たされたときが、宇宙の死だそうです。
進化した科学が一瞬原点に戻った感じがしました。科学がこれだけ進んだ今になって、原点に戻るってこと?
でも、進んだからこそ水素水を作れるようになった!水素の働きも研究できるようにもなった!

原子番号1番の水素が人類を救う!!
単純で、なんと美しい。
これは神様レベルの歴史的芸術だと思いました。
心底水素水に魅了されたのです。

おもしろいものです。ここで過去に臨床検査技師として働いていた頃の知識が役に立ったのです。
しかもこんな役立たずの私が生きていることを許されているのはなぜ?という疑問から、社会学をはじめ、物理学、化学、医学と手当たり次第に本を読んでいたことも助けになりました。


もしあの時、水素水製造工場、たとえば現在のわが社の工場を見せられたなら、諦めたでしょう、間違いなく。
これはさすがに私には無理!と。
見学に行った会社は、水素水を作ることが目的ではなく、フィルターの性能テストが目的だったため、水槽とか、ブクブクとか、極めて原始的な方法だったわけです。
世間知らずの大いなる勘違い!(笑)。

帰ると早速、姉に電話。
「ねえ、一緒に水素水作らない?」
姉は10年以上前に夫を亡くした未亡人です。息子を亡くした舅姑を残して子どもを連れて家を出るなんて考えられなかったと、ずっと嫁ぎ先で暮らしていました。私はその頃離婚して母子家庭。
お互い老後に向けて悩みは尽きなかった上、歳をとったら二人で何かしようか~と常々話し合ってきたので、姉も二つ返事でOK。姉は水素水なるものがなにかも全く知らないままだったのですが・・・(笑)。

“何かしようか”の“何か”が決まった瞬間でした。
もともとずっと仲の良かった姉妹です。二人で何かを始めるというだけで、なんの根拠もなく鬼に金棒の気分です。
そこではたと思いついたのが実家の井戸。

実家は熊本県菊池市。阿蘇の外輪山の西にある盆地です。
800年ほど前には菊池一族が九州全体を治めていたこともあり、市役所の所在地である隈府(わいふ)の府は大宰府などの府と同じで、それなりに文化が発展したこともある長い歴史のある地。
北と東に山脈、南から西へかけては広大な熊本平野。その中央を、菊池川が流れています。阿蘇の外輪山に降った雨が長い年月を経て地下水となり、あちこちで湧水する環境でした。その菊池川の川べりに育った私たちは、夏休みともなると朝から晩まで川遊びをして過ごしていました。
そんな環境の中でずっとずっと聞かされていた「うちの水はおいしい!!」という母の自慢。
「この辺りの井戸で細菌だの不純物だの出たためしがない!」
それが事実かどうかはともかく、世界的に評価されている熊本県の地下水ですが、その熊本県内でも菊池は水質がいいことで有名。
やるならこりゃ実家だ!実家!納屋もあるし!

ルンルン気分の私は、またまた世間知らず炸裂。
「水素ボンベください!」とガス会社に電話。あまりに普通に注文したため、何かの製造会社と勘違いされ持って来ていただけたのですが・・・農家の納屋ですよ。
トラクターとか、コンバインの横に「ここに置いといてください!」
そのとき運んでくださった方の顔は今でも忘れませんが、いぶかしがるなどという程度ではありませんでした。おそるおそる地面に置いて、お願いだから爆発させないで・・・という顔です。
でも平気です。だって悪いことをしようという気はさらさらないのですから(笑)。
あとで誓約書だ、注意事項だと随分ご迷惑をおかけしました。そのときはそれすら知らないというか、何と思われようとこれがなきゃできないんだから、それ以外の選択肢はナシ!!だったのです。
なんとか水素ボンベを入手。
これで毎日飲める!あの人にも、この人にも飲ませてあげられる。イヤッホ~!!です。

とはいえ、一体何から手を付けていいかも分かりません。
あの変わった形のポンプが届くと、水用タンクを買ってきて水を入れ、水素ガスをブクブク。できているのか、できていないのか?
測定器が必要。保存するためのパウチが必要。
タンクからパウチにどうやって移し入れる。そうだ灯油ポンプがいい。でも径が合わない。じゃあ口金をつければいいんだ。などなど、毎日毎日ホームセンター通い。
でもあくまでそれは自分たちが飲むためのもの。販売することはできません。半年ほどいろいろな実験を繰り返し、水素水を作ることは可能だということは分かりました。

同時に保健所通いが始まりました。
そこで初めて知ったさまざまな法律。そりゃそうですよね(笑)。
更に水素水を作って販売するためには少なくとも3,000~4,000万円の資金が必要だということも分かったのです。勘違いから出発したとはいえもう後戻りする気はさらさらなく、さらに腕まくりして爆走が始まったのです。

まずは資金。銀行さんに一応行ってみましたが、全くの白紙状態の起業。対応してくださった窓口の方も「は~・・・?」で終わり。融資を受けるなど夢のまた夢。
自慢にもなりませんが、私には借金はあっても貯金などなし!!私と違って姉は多少の貯金はありましたがそれで足りるはずもなく、こうなりゃ身内から借りるしかない!
寝たきりの父を抱えた母に相談。母も年老いて多少は気が弱くなっていたのか、毎日娘たちが来るという安心感もあったのでしょう。老後の資金として蓄えていたお金を貸してくれるとのこと。
脳梗塞の後遺症で半身不随となり言葉も出なくなった父も、うんうんと大きくうなずいてくれました。
「死ぬまで面倒みるから・・・」が担保(笑)。
もちろんお金を貸してくれようがくれまいが、両親の老後の面倒をみるのは当然のことですが、それしか担保がなかったのです。
姉の嫁ぎ先の義父母も同じ担保で、老後のための貯金をほとんど貸してくれるとのこと。
嫁が、その妹と50歳を過ぎてから事業を始める!に、老後資金をほとんど貸すって!?普通はありえないでしょ。姉に信用があって良かった~~(笑)です。
そしてじいちゃん、ばあちゃん、すごいです!!本当に感謝しかないです。こちらにあるのは詐欺のような担保と“鼻息”だけなのに・・・(笑)。

よし、これで始められる!!

親たちの了解を得た日、帰りの車の中で思わず叫んでいました。涙が出るほど感動していました。なぜここまで自分が興奮しているのか自分でも理解できないくらい興奮していました。
真っ赤な夕日が沈もうとしている川の土手を走りながら、突然目の前の大きな扉がバーンと開き、金色の光が襲うような勢いで私を包み、私はしばらくその光の中にいました。
「ああ、これは私が残りの人生のすべてをかけても、やり遂げなければならないことなんだ」
と、はっきりと自覚したのです。

生まれてきた意義も感じられないまま人生を終わる。自分の人生には何の価値もないという絶望感。それが、突然、命を懸けても惜しくないほどの高揚感に変わったのです。
この時の思いは今でも変わっていません。何ができるかではないのです。ただやるんです。やり続けるだけです。残りの命を使って。

人間は世の中の、もしくは誰かの役に立つことで、自分の人生に価値を見出す権利があるのです。でも多くの人はもちろん世の中の役に立っているから生活ができているのですが、自分の人生に生きがいを感じるという権利を行使できないまま、人生を終わることが多いのです。私はその権利を行使することができるのです。これほどありがたく嬉しいことはありません。
世の中の役に立つために起業するというと聞こえがいいかもしれませんが、ただ年老いていくだけの不安と絶望感。もし、もし、残りの人生を使って、食べていくことができる上に誰かの役に立てるなら、それは絶対に最高に幸せなことなのです。

「よく決意されましたね。」と必ず言われます。
でも私たちにとっては決意ではなく、目の前に幸福の扉が開いたから、入っただけです。不幸より幸福のほうがいいに決まっています。
ただそれだけのことだったのです。生きることに初めて意義と価値を見いだせたのです。
生まれて初めて最高のルンルン気分になれたのです。

ここからは世間知らずのおばちゃん二人の爆笑珍道中。これは第二章で・・・。

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